2/20/2009

dziについて考えた。

こんにちは。
ガネーシャ店長です。(^^ゞ
みなさま、お久しぶりっす!
お元気でしたか?
ワシは2月10日から買い付けに行ってました。
今日無事帰国したところです。
今回、前半はリベンジ・ネパール!
そう、神々の棲む国ネパールを回って、バンコク・チェンマイで仕事してきたアルヨ。
ネパールは日本と同じくらい寒いのよ。
日中は乾いた空気のせいか、日本より少し暖かいけど夜は冷えますね。
なのになのに、ネパール政府は電気の供給量を大きく制限してるので、毎日計画停電なのよねぇ。。。
それもエリアによって、曜日によって時間帯が違うから、しっかり時間帯をチェックして夜の停電より前にメシ食って、シャワーして、ドライヤーで髪を乾かさないと一発で風邪ひくハメになっちまうぅ。。。(>_<)
所変われば習慣も変わる。
電気を制限されても、結構それなりに人は暮らせるもんだわ〜〜!と、ネパールの人たちの逞しさと自分の適応能力の高さを改めて実感したアルヨ。

ネパールにいる時、ワシは1、2回はダルバートを食べるけど、メインディッシュもサイドディッシュもスイーツもカレー味のカレー風味が苦手だ。
決して、まずくはないのよ、むしろ美味いよ!
でも、同じ味の連続技が苦手なワシなのさ。
だから、ほとんどはチベット食堂みたいなところでモモとトゥクパでお腹を満たす。
トゥクパは日本のうどんみたいな感じなんだけど、具材がごった煮になってて、まるで鍋の後のシメのうどんの具多めって感じだ。
醤油がないので塩味が普通。
少し物足りない感じで食べ始めるが、唐辛子や辛めの味噌を混ぜながら、だんだん好みの味になっていく達成感のある料理だと思う。
モモは餃子というか小龍包より少し大きい感じのもの。
揚げたものより蒸したものの方がワシは好きだ。
今回、初めて入った食堂で大当たりのbuffのスチームモモに出会った。
食堂の名は、ノリンレストラン。
チベ好きにはたまらん名前だよね、ノリンって。
だいたいワシはコテコテな感じがたまらんくハートにヒットする類の人間なので、常々チベット人の名前がヘラに入る。
ドルジェさん、ペマさん、トゥリンさん、ノリンさん、ニマさん、、、、レパートリー少なくねぇか?とツッコミたくなる。
しかし、よく考えると、モスリムの知り合いもタイ人の知り合いも、あんたもそれかいっ!ってツッコミたくなる。
話がそれたが、ノリンレストランは何食っても美味かった。
場所はタヒティーチョークにありんす。
ここからインドラチョークに抜ける通りはチベット人の多いエリア。
なかなかおもしろい。
ワシは前にも道で行き会ったチベット人に「ラサに住むいとこの嫁さんかと思ったぜ!」と間違われるくらいチベ顔らしい・・・(--;)
ノリンで食事をしている時もラマ僧の尼さんにナンパされた。
やはり敷居の低さは天下一品のワシだな。(-。-)y-゜゜
どんなもんでぃ〜!
「タシデレ」しか喋れないチベット語と三河弁withイングリッシュで親善活動を地道に邁進するのですよ。
おほほ♪

今回はリクエストを持っていなかったので購入はしなかったが、これまたレアなアンティークdziにも出会えた。
ワシはよほど縁があるのか、この石のすっげぇモノは結構実物を見ている。
ここまでくると、出会えることの奇跡に何か意味があるのかしら?とも思える。
しかしながら、金がない。
貧乏が恨めしい限りっす!(>_<)
実際のところ、出回るアンティーク品薄になっているようだ。
お金を稼いだチベット人が買い戻しを初めているとも言われている。
チベット人だからと言って、みんながみんなアンティークを持っている時代ではない。
ラサでもネパールでも多くのチベット人が首にdziを下げているが、ほとんどは中国か台湾で作られたチープな新しいdziである。
国を捨て、新天地を目指してきた人たちの生活を支えてくれたのが、先祖代々から伝わる家宝の品々であったのだが、それも底をついているのは誰が見てもわかる。
そして彼らは生きていくためにまた新しいdziを身につける。
彼らにとって、dziは古かろうが新しかろうが関係ないのかもしれない。
そこには信仰の深さがあるだけだと思う。
信仰心の欠片もない我々が、大枚はたいて古いdziを手に入れるという行為も最近わからなくなってきた。
古くても新しくても、持つ人の心に、仏陀に、信仰に、反映されるアイティムの一つでしかないのだろう。

チベットという国はないけど、チベット人として生きる彼らに触れ、目の前を通り過ぎた数々の素晴らしいアンティークdziを思い返し、他の国の欲望と煩悩に駆られたdziの効能書きと、それに群れる信仰心の欠片もない凡人の願いと欲、商売道具にしか思っていない業者の方々、いろんな光景が頭をよぎる。
なんとも言えない気持ちで口の中がカラカラに乾いていく。
でもね、でも、それでも、ワシはdziが好きだな。
古くても新しくても、どっちでもいいよ。
どちらかにしかない価値もあるけど、どちらにもある価値があるもん。
慈悲のこころ。
人に優しくしましょうね。
偉そうなこと言えないけど、こんな世の中だからこそ、思いやりを持って生きましょうよ。
難しいことも立派なことも別にしなくていいよ。
ただ、自分は一人では生きてないから、自分以外の人も自分だと思って大切してあげましょう。
小さな小さな思いやりが、少しずつ重なって、大きな大きな社会レベルで思いやれるといいっすね。
本当に人間って欲のかたまりで、どうしようもなく小さな存在だこと。。。
2500年くらい前に世界の大きな宗教が次々に生まれたようだけど、2500年くらい経っても人の欲望は何も進化していないようだもん。
目覚めた人も預言者も救世主も、みんな同じこと言ってはるのよ。
他人を愛せと。


dziは、その模様の豊富さと作りこみの違いから、ひとつひとつ、どれも表情が違う。
もし、貴方がdziに興味があって、何か一つ買ってみようかな・・・と思ったら、どんな模様でも気に入った子にした方がいいよ。
どんなのがベターなのかわからなかったら、是非ワシんとこに来てね。
いろいろありますから、見比べて選ぶのも楽しいですよ♪

実はこっそりマイブームなのが、タンカ(マンダラ)と仏像。
信者でもないのに、笑ってやってくださいましぃ。
この考察はまたの機会に。(^-^)/

次回は買い付け先で物思いに耽ったシリーズ第2段でいきたいと思います。
お楽しみに〜♪(^^)/~~~