12/16/2007

許しましょう。

こんにちは。
一人店番中のガネーシャ店長っす。
お寒ぅございますが、みなさまお元気ですか?
只今、カリスマ☆アフロ氏は一人買い付け出張中です。
バンコク&チェンマイと回っています。
なんか良さ気なものを探しているようです。
水曜日には店に出られると思いますので、お近くのみなさま、お楽しみに!

さてさて、今日は最近感じたことを書こうと思います。

「許す」という行為は、簡単なようで難しい。
許したことにしてあげた・・・くらいまでは、日常起きている。
揉め事を増やしたくないし、相手が謝ったならもういいじゃんって、その程度の「許す」は誰にでも頻繁に経験することだろう。
ワシも、つい最近まで、「許す」というのはそれくらいのことだと思っていた。
でも、ホントに「許す」のは、他者ではなく自分だという事に気がついた。
自分を許す。
何も悪い事してないのに、なんで???
そう思うのは無理もない。
ワシの言う「許す」は物の善悪だけではない。
「他を受け入れる」ということだ。
受け入れたように見せかけることは結構安易だ。
でも、ホントに受け入れる為には、まず自分を許さないと無理なんだと思う。
自分の価値観を曲げることになったり、許容範囲を不本意ながら広げ深めることになったりしてもいいんだよって、まずは自分を許さなければ他者を受け入れることは出来やしない、出来やしないよ。。。
自分を許すのは、何も自堕落になることではない。
真摯に受け止め、思考を熟成させるということが、「許す」という行為なのではないかと思うのである。

ワシは、あんまり他人と群れるのが好きじゃない。
意味もなく繋がる関係は好きじゃない。
それは、「許す」ことの連続で関係しあうことのように思っていたからだ。
あぁ、なんと小っせぇ人間でしょう!
我が強い故、他者が許せないのだと思っていたが、そうじゃない。
結局は、自分が許せないだけなのよね、我が強いから。(-.-;)y-~~~

うまくいかないのは自分にも責任があるとは知っていたけど、それが「許す」ことで少しずつ解決していくんだと最近になってわかったオタンチンなワシです。
かたじけねぇ。。。(>_<)
まだまだ未熟者だわね。
でもさ、人の世はテストみたいに絶対の正解なんてないと思うのさ。
絶対の真理っつーものはあるかもしれないけど(ホンマけ?)、それに近づく絶対の答えなんてない。
物事の見方は1つだけじゃない。
いろんな答えや手段や方法があってもおかしくない。
それが倫理的に間違っていなければ「許す」のも悪くない。
そんなワシはまた菩薩に一歩近づいたかもしれない。
でも、悪魔のワシはたまに叫びたくなる。
「そんなの関係ねぇっ!」って。

ダメなもんはダメだし、おかしいもんはおかしいし、出来んもんは出来んし、イヤなもんは嫌だ。
ダメの基準もおかしいの基準も出来んの基準もイヤの基準も、よく考えたら千差万別でバラバラなわけだ。
自分の基準に意固地になって執着し続けるのをやめなければ、何も進歩はないわけだ。
自分の基準のハカリを変えなければいけないことはやってくる。
そんな時は、潔く変えるのがよかです。
「許す」というのはそういうこってす。
今までの基準を変えてしまうことを許す。
執着していた自分を許す。
そうしなければ他者を受け入れる隙間も出来やしないでしょ。

上がったり下がったり、不変で矛盾だらけで世知辛い世の中ですが、みなさま、心穏やかに暮らしませう。<(_ _)>

12/04/2007

仏像ブーム

どもども〜♪
一人店番&こんなに寒くちゃ誰も来やしねぇ・・・(>_<)、、、のガネーシャ店長です。

世は秘かに仏像ブームだそうね。
昨日から四夜連続で再放送してくれるNHKにはちょっと感謝しちゃっている。
今夜も0時10分から総合で見られまっせ。
興味のある方は見てみてね。

しかし、なんだねぇ、どうして皆様そんなに仏像好きなん?
投稿のおたよりを拝聴させていただいても、なんだか皆様、それぞれに深い思い入れがあるようにみえて、実は心のカウンセリングの対象としているような気がしてならない。
ワシも仏像は好きやけど、それほどまでの感覚には未だ至っていない。
まぁ、どれを見ても、「へぇ、素敵ねぇ♪」とまでは感じても涙は出ない。
そうつぶやくと旦那は、「まぁ、キミみたいな心の狭い人間にはわからないでしょう。」とクールに言った。
「ほんならアンタはどういう仏像に出会ったことあるん?」と聞いてみると、「ボクは涙を流したことはないし、そこまでの感激も受けたことはないけど、ほら、キミとは違う次元でボクは物をみているから・・・・云々」と続く。
あぁ、そうだった。
ウチの旦那はインテリジェンスの香るボクだった。
まともに聞いてみたワシがバカだったと、彼の能書きを耳で聞きながら、目は画面に映る仏像を追い、心の中でワシは仏像の何が好き?と模索する。
なかなか器用なことができるが、ワシのちょっとしたプチ特技である。

仏像のどこが好き?何が好き?どれが好き?

ワシは解った。
ワシは日本の仏像というか、東アジアの仏像にはあんまり興味がないことが。
仏像のどこが好き?と問われれば、迷わず「顔で選ぶ派です!」と答える。
仏像の何が好き?と問われれば、迷わず「彫りの深い顔立ちです!」と答える。
仏像のどれが好き?と問われれば、「ピカピカしたのじゃなくて、石や木を彫り込んだやつです!」と答える。
ワシの好きな仏像の系統は、ガンダーラ美術系の彫りの深いお顔立ちで、レリーフに彫り込んである感じや石窟寺院にあるような感じのものだ。
古い時代のヒンズーの神様の彫り物も大好きだ。
醤油顔よりソース顔、ソース顔というよりスパイスの効いた顔が好きなことに気がついた。

10月の終わり、43才の誕生日はニューデリーにいた。
ちょいとばかしワケあって、2号と二人旅だった。
その日は、デリー市内を観光する予定だったが、旅慣れない2号が前夜から高熱を出した。
宿で温和しくしていたが、熱が下がって37度5分くらいになると、暇で暇でしかたなくなる。
せっかくニューデリーにいるんだから、どこか1つくらいは観光しようと意見がまとまり、選んだ場所がナショナルミュージアム。
ま、あれだよ、国立博物館ね。
インドは何でも外国人枠の料金が設定されている。
拝観料やら入場料やらも分かれているところが多い。
デリーの博物館は料金は同じ設定だったけど、なんと持ち込みのカメラやビデオがお一人様料金を入り用とする。
どんな種類でもカメラはカメラ。
プロ使用の一眼レフだろうが、ワシのデジカメだろうが、人間一人とかわらない。
撮影の腕前も関係なく同一料金なのだ。
ま、キマリなら仕方ないので料金を払い入館した。
せっかく金出したんだから、どんな写真でも撮らにゃ勿体ない気がしてしまう貧乏性なオレ様加減に親子で笑ってしまった。

博物館はとっても素敵に興味深いものばかりだった。
ここなら1日中おられるでぇ〜♪と、一人でインドに来ても楽しめるスポットにエントリーしておくことにした。
インドは広い。
なんでもデカイ。
歴史が古い。
人が多い。
それゆえ、あらゆる文化・宗教・民族が盛り込まれた文化を持っている。
仏教もインド生まれなんやし、それ以前の土着信仰やヒンズー教の神様も、仏教の仏様に姿を変えていたりする。
そういう意味でインドはおもしろく興味深い。

写真は、博物館で見たイケメンのブッダ像ベスト3。




どないどす?
イケメンでっしょろ?
でも、ワシ的に本物のイケメンっちゅーんはこのお方のことや!という大本命がおりまして、、、
それが、このビシュヌ様です。

ヒンズーの世界では、ブッダはビシュヌの第9番目の化身という説があり、タイでは、ビシュヌのことをヒンズーブッダと呼んだりもする。
ブッダ=ビシュヌ
そう簡単にくっつけてしまうのは、ヒンズー教徒でもなく敬虔な仏教徒でもないワシには難しいし、日本の仏像は、すでにビシュヌ様から離れてとっても薄められた顔立ちで、若干ふくよかにもなってしまって、朝青龍よりのモンゴロイド系に変化し、そしてよく見ると、ラーメンマンのような口ひげまであったりする。
あぁ、なんか、もう、これは仏陀=ビシュヌにはなれませんね。(>_<)
個人的意見きわまりないですが、ワシはやっぱり本家本元にこの古いビシュヌ様が一番好きだ。

第一夜では十一面観音は、なぜ十一面なのか?というところを中沢新一氏が説明していた。
それは龍神と関係あるらしい。
水と農耕民族である庶民の生活と深く関わりがあるそうだ。
いとうせいこう氏は、十一面というのは正面以外に頭に十の顔があり、十は完成された数字であると語っていた。
へぇ〜そうなんだぁ。。。と関心しながら、ワシ的考察推理が閃いた。
龍と頭でつながりで、十一面観音もビシュヌの化身に見えなくもない。
肩に大蛇を持ち、大きく高く結い上げたロングヘア。
そんなビシュヌ様の姿と少し重なる、が、お顔は断然ビシュヌ様の勝ちだわ♪

ニューデリーを離れ、ガンガーを見ようというテーマで、リシュケシューハリドワールーバラナシへと旅だったバカ親子です。
バラナシから仏陀が最初に説教をしたというサールナートはとても近く、ちょい疲れで「別に行かなくてもいいしぃ〜」なんてヌカすバカ親子に、モスリムのドライバーさんは言った。
「日本人はブッディストと聞いている。あなたたち、ブッディストか?ブッディストならサールナートへは是非行くべきだよ。」と。
別にブッディストと誇れるほどの仏教徒ではないが、まぁついでなんだから行った方がいいかもしれない。
ドライバーさんに諭され、サールナートへ向かったわけだ。
サールナートには土色の大きなストゥーパがある。
その周りに各仏教国のお寺が点在している。
「どこか見たいお寺はある?」とドライバーさんはとても気を使ってくれる良い人だった。
「ほいじゃさ、チベットのお寺もあるん?」とさり気なく控えめにリクエストしてみたら、「オッケー(^-^)g""」と案内してくれた。

これがチベット寺の本堂におわす仏陀です。

これはこれで、ワシ的にはまだまだ好きな部類のお顔立ちだ。
ここのチベット寺のラマ僧は、英語が少ししか喋れなかった。
もちろんヒンディー語も喋れない。
チベット語がメインだ。
ダラムサラからこのお寺に修行に来たそうだ。

サールナートにはいろんなお寺がある。
少し回っただけだが、何度もチュバを来たチベットの女の子5人組みに遭遇した。
インドでもヒマラヤに近い方に住んでいるという。
みんな熱心にお参りしていた。
サールナートに住む人はインド人でも仏教徒がたくさんいる。
バラナシには、仏教徒もいるしヒンズー教徒もいるしイスラム教徒もかなりの数でいる。
でも、みんな争うことなく平和に暮らしている。
神様仏様に守られているというのは、こういうことなんかもなって思ったりした。

インドを離れチェンマイに戻って、いつもはあまり行かないエリアのお寺を巡ってみることにした。



こんなヒンズー寺院っぽい仏教寺院もあったりする。
素敵ざんしょ?(o^^o)
「ワット・チェット・ヨート」というお寺です。
赤バス(ソンテウ)でもトゥクトゥクのドライバーでも、きっとみんな知ってるよ。
大きな敷地に作り込まれた感じもなく、素朴な佇まいでございます。

こうしてみると、ワシは仏像本体より、寺院全体の雰囲気の方が好きかもしれない。
仏像も渋みのある方が好みだ。
機会があったら、カジュラホーやアンコールワットも行ってみたい。
あ、どちらもヒンズー寺院だった。。。f(^ー^;
もしかしたら、仏像より神像の方が好きなのかもしれませんな。。。

ウチの屋号は「ガネーシャ」です。
バラナシの骨董屋さんで60〜80年前のガネーシャ像を2つゲットしました。



出土先はブッダガヤ近辺。
信仰のあとがよくわかるすり切れ具合も愛らしいガネーシャです。

せっかくの仏像ブームなのだから、ちょっと言いたいことがある。
日本人は「墓参り教ですか?」と思うほど墓参りはするけど、お墓のある本堂で手を合わせることはなかなかしない。
是非、本堂に入って、ご本尊の仏像に手を合わせてみましょう。
そちらの方がよほどパワーをくれると思います。
だって、お墓の中には誰もいないって、「千の風になって」で歌ってるじゃ〜あ〜りませんかっ!(^^ゞ

流行語大賞

こんにちは。ガネーシャ店長です。
寒いッスねぇ〜〜〜(>_<)今日は。。。
東海地方はどんより重たく厚い曇り空ですよ。
みなさまのところは、いかほど〜?

 最近、温和しいんじゃないの?ガネーシャさん(パンダさん)。

もしかしたらそんな風に思われてるかもしれませんが、ホントはパソコンの前に座れないだけです。
毒は吐ききれないほどたまってまんがな。(-_-;)
今日は珍しくパソコンに向かえそうなので、ぽつぽつ・・と吐いていこうと思い候。
お付き合いされたし。

さて、何からと考えると、ワシの時間軸は現在過去未来が交錯に交差しているので、今朝見たテレビからいくとしよう。
 
流行語大賞の授賞式とやらがあったそうだね。
ワシでも知ってる言葉ばっかりなので、確かに流行語なのだろう。
でも、その中で「はぁ?(-.-#)」と思ったのが「消えた年金」。

 え?これって流行語だったの?

まずは釈然としない流行語の定義だなと思った。
しかし、これは、拳握ったくらいの(-.-#)だ。
その授賞式に、のこのこと出席した舛添要一厚生労働大臣にはびっくりしたぞ。

 おいおい、そんなにめでたいことなんか?
 どちらかと言うと不祥事じゃないんか?
 忙しくないんか?

もう脳みそが耳から漏れそうなくらいの(-.-#)だわ。
出たがりなんか?
そう言やぁ、ちょいと昔は朝まで生テレビによう出てはったわ。
その頃の肩書きは東大の教授か経済評論家かなんかだったと思うけど。
今は厚生労働大臣やで。
確か嫁さんは片山さつきじゃなかったっけ?
めっちゃ頭はイイかもしれんが、もしかしたら厚顔無恥な人なのかもしれんな。
もしかせんでもそんな気がするわ。
こういうタイプのおっさんがウチの近所に住んではったら、めっちゃイヤだわ。
議員さんなら議員さんの仕事してりゃえ〜やん。
大臣ならなおのこと、このご時世にこんな流行語で授賞式に出席せんでもえ〜やん。

議員が議員なら次官は次官で、、、、
あ〜、もうテレビから「守屋・・・守屋・・・」と流れるたびに、「あ〜、モリヤ、モリヤ、うるさいわっ!」って、いい加減うんざりしていた。
(このネタ、わかる人だけ笑っておくんなせぃ。)
プレゼントと賄賂の区別がつかないわけでもなかろうし、仮にプレゼントだとしたら、おねだりせん限りこんなにしてくれへんでぇ!
と思いながらも、たかだかこれくらいの金額で悪人かよって、悪人っぷりの小いささにうんざりもする。
どうせ悪い事とわかってやるなら、もっとデカイ金動かしゃあええのに、スケールの小さいモリヤだな。
嫁さんも、別に自分でもできるくらいのことを他人にねだってタダで豪遊するのが好きなおねだり奥様なだけやん。
そんなんが上品こいてセレブ気取りで、しかもそれにヒィ〜コラついていくグループもあったそうで、まったくどいつもこいつも同じレベルじゃんって感じだ。
誤解をまねかんようにしないといけない。
悪人っぷりが小さいというのは、悪事を奨励したり認めているのではない。
一番良いのは悪事をはたらかないことだ。
やってはいけないことは絶対やってはいけない。
それなのにやってしまう。
デッケェことやれないヤツがチッセェ悪事をやっているところに人間性が見え隠れすると言いたいのだ。

でも、思う。
ニュース報道でどんな悪い事した人にも家族や友達はおったろうに。
そういう人たちの前では違う顔をしていたんだろうなって。
どの人にも善悪あると思うから、できれば善多めで自分を律して生きていけたらいいなと思うワシは、自分の心と対峙しながら善というラッピングで偽装工作しながら生きているようなものだ。
若い頃は、それがとても不純で不誠実なものに思えてならなかったが、それはその瞬間瞬間だけの刹那的な偽善であることがだんだんとわかってきた。
それは、まだまだ青いなっ(-。-)y-゜゜ってことさ。

刹那的な偽善というのは、その時には理解できない。
それを解決してくれるのは時間しかない。
良いことも悪いことも、善悪は表裏一体となって結果という果実をもたらす。
その果実を美味しいものにするのは、やはり心の度量と時間が必要なんだと思う。
どこの仏教徒か?と錯覚するほどの模範解答だが、しかしこれは正しいのである。
色即是空、空即是色。
正しいとい言ったのは、そう思わなければ、この世はやるせなさでいっぱいになるからだ。
やるせなくて、無力で、一体それに何の意味があるのかわからないままに、人は生まれ、そして死ぬ。
だから、色即是空、空即是色。
無なのだ。
だけど、人は生き、食べ、眠り、そしてなんらかの集団に属しながら社会を作り、そしてそこに生きている。
そこには、無はなく、なんらかの意味があるように、そこに存在する意味があるようにすら覚える。
ず〜っと人はそうやって命を繋いで絶滅せずに生きてきた。
存在自体が他の人になんらかの関係を紡いでいくのだ。
どうせ紡ぐなら、綺麗な糸を紡いで綺麗な布を織りたいもんだよ。
だからワシは、生きてる限り頑張ってみようと思ったりするんだよ。
無理してまでめっちゃ頑張らんでもいいけど、ワシみたいな人間は多少頑張らんとアカンのだと思うのだよ。
偽装でもいいから、それが偽善にならなければ、ワシらしく精進していこうと思うのであるよ。

偽装と言えば、やっぱり偽装はどの業界でも流行物のようだ。
不二家の時、我が家では、「ミルキーとルックチョコレートだけは見逃して販売してください。それがだめなら、在庫はぜんぶウチにください。」と、なんとも情けない嘆願書を書く寸前までに至ったもんだ。
今は、赤福が食えないのでダメージがでかい。
しかも、これらの騒動で、一番ダメージを受けているのは旦那である。
赤福が食べられないのはとてもショックなようだ。
だから、可愛い旦那のために一日も早く赤福を販売して欲しいっす。

確かに偽装はいけない。
消費者を欺いちゃいけない。
何様のおつもりだいっ?ってことになる。
しかしこれら一連の偽装は、ワシには「そんなの関係ねぇ!」である。
だって、ワシは食さんもん、お菓子系も高級な肉も。
食に関して無関心なワケではなく、関心があるからホントに自分が納得するものしかいらないのさ。
便利だからと飛びつくこともなく、
安いからと浮かれることもなく、
評判が良いからと鵜呑みにすることもなく、
高級だからグルメだから流行ってるからと流されることもなく、
自分が欲しい物や納得した物しかワシはいらんのですわ。
多分、ワシはとても小心者で傷つきやすいんだと思う。
だから、自分で納得しない物は、後で泣くのも恨むのも、誰か他者のせいにしてしまいそうなのでイヤなんですわ。
業者のせいにするのは簡単だけど、それを買うのは消費者である。
選ぶ方にも価値観がなければ、悪徳業者の思うツボなのである。
騙されたって恨みゴト言う前に、騙された自分も振り返らんと意味のないお粗末な話で終わってしまう。
「そんなの関係ねぇ!」で終わってしまっては、何の進歩もないまま年をくうだけだで。

ふぅ〜、朝のニュースから思いついたネタでした。
お気楽な脳みそだな、ワシって。。。(-.-;)y-~~~

12/02/2007

オモロイ話

久しぶりにオモロイ話をするとしよう。

石を買いにくるお客さまの中に、とんでもない事が起こっているようだ。
だいたい、とんでもない羽目に合っている人に限って、「○○色の石ってありますか?」とくる。
そりゃあるにはあるけど、○○色っていうのも見た目の許容範囲が広い。
「どの石をお探しですか?」と尋ねると、「いえ、○○色の石です。」って返ってくる。
「だから、○○色の石はたくさんあるからどれじゃい?と聞いとんのや。」 
・・・と心の中で叫んだ後に、「どうして○○色の石をお探しなの?」と聞いてみるワシは、この時点でかなり優しいカウンセラーに変身してしまう。

ある人は、占い師に言われたと言う。
1年を4分の3も過ぎた頃、あるイベントで見てもらった占い師が、
「今年、よくない事があったでしょう?
 うん、絶対あったはず。
 思い出してみて!
 そう、それね。
 あなたは今年は○○色の石を持つといいでしょう。」
と言われたらしい。
それで石ならガネーシャがいいよって人づてに聞いて駆けつけてきたそうだ。

どうなん?
こんな占いなら誰でもできるで!

他にも整体や気功師から言われて来た人も多い。
「う〜ん、じゃ、○○色と▲▲色の石を持てばいいですよ。」
って、意味のわからないアドバイスに従って来てしまうようだ。

どうなん?
何の根拠があるん?

どちらも説明不足のアドバイスだけ言って、鑑定料なり施術料なりそれなりに貰ってんだから儲かるはずだね。
他人の弱みにつけ込んだ詐欺行為じゃないだろうか?とも思うが、その人たちが石を売らないのだから決定打にはかけるようだ。
頭のいい商売だな。。。(--;)
ホントに自信満々の根拠の元にオススメしたい石があるなら、ワシのところから卸してもいいよ。
自分ところで売ればいいじゃんねぇ。
そこんとこだけ石屋に丸投げするのはどうかと思うわよ。
ほんでもって、丸呑みの鵜呑みで石を求めてくる人も、どないなもんかいな。。。(--;)

それなら最初からワシに会いにおいで。
元気と勇気と愛をあげるよ。
最近のワシは、初対面の人に妙に感謝され、涙を流されたり、握手を求められたり、ハグまで求められたりと、なんとも怪しさというより妖しさが増している。
困ったもんだな、、、って思う反面、みんな寂しいんだなって思う。
すべてが順風満帆の人なんておらん。
すべてがダメダメな人もおらん。
問題の無い人なんて誰もおらんて。
そんなもんよ、生きるってことは。(-。-)y-゜゜

楽しんでいきまっそい♪(^o^)/

スモック風ブラウス

こんにちは♪
何気に元気なガネーシャ店長っす。
みなさんはお元気?
風邪ひいてないっすか?
風邪の予防は手洗い&うがいにつきまっせ。
めんどくさがらずに行いませう。
(・-・)(。_。)ウンウン

ガネーシャは、実はオリジナルの服を販売してます。
店舗のお客さま向けですが、一点の数はめっちゃ少ない。
1〜3枚という限定オリジナル作ってます。
だってさぁ、他人とかぶるのってめっちゃイヤやんかぁ!
そう思わん?
田舎ながらアジア屋さん激戦区の場所なのに、なんで他の店と同じの売らにゃアカンの?
ガネーシャのお客さまの平均年齢は40才前後ってところだし、ワシも1年ごとに年齢を重ねておるわけだしね。
ちぃ〜とばかしお痩せになってるからって娘と同じファッションのおばさんは、傍目にイタイ感漂う。
どこの成金セレブだよって感じもイタイ。
最近は量販店もブランドショップもアジアンっぽいテイストのお洋服が多い。
ひと昔前のその筋の商売女かよって思う素材やデザインがアジアン系のくくりに収まっている今日この頃、日本のおばさんをバカにすんじゃねぇ〜よって、メディア媒体に怒りを感じるのはワシだけではないと思うぞよ。
何が必要で、何が素敵で、何に価値を感じるかは人それぞれなんだから、流行の仕掛けにまんまと乗るのはあんまり賢いとは言えない気がするのじゃ。

話が少しそれてしまったが、このスモック風ブラウスはオリジナルの中の1つです。
素材はコットン100パーセント。
こんな感じのデザインは、間違えて妊婦に見えないようにしなくてはなりません。
切り替えしやお袖の具合にちょこっと心を配ってみたよ。
(もちろん妊婦の人も楽にきられます)
写真のワシは細身のジーンズでシンプルに着てますが、ダブダブのジーンズや太めのパンツ、ロングスカートでも、かなり可愛く着回せると思います。

商品に関するお問い合わせはコチラまで。<(_