2/15/2008

お気に入りのdziブレスレット

こんにちは。
まだまだお寒ぅ〜ございますね。
朝マックに行こうと思い、到着時間には朝マックが終わっていたガネーシャ店長です。(T_T)
ソーセージエッグマフィンなら食えるのに、なぜかハンバーガー気分になれず、仕方なくコーヒーとアップルパイを所望したのですが、今猛烈に腹へりで、食っときゃよかったぁ・・・とプチ後悔中です。
相変わらずおバカな日常ですね。
バカは風邪ひかないと言いますが、おバカ道一直線の私は、やはりこの冬一度も風邪ひいてません。
手洗い・うがいのお陰か一直線に精進中のお陰かは定かではありません。
みなさまはお元気ですか?

さて、今日もお客さまのアクセサリーです。


製作してからたぶん1年以上たっていると思いますが、Tちゃんのブレスレットです。
リメイクではなく、紐の新調です。
いつも着けてくれているので、中に通した紐が擦れてきました。
チベタンど真ん中のデザインではありませんが、落ち着いた中にも天然石でメリハリのある素敵なブレスレットです。
使っているdziはアンティークではありませんが、Tちゃんが良い具合に育ててくれています。
素材と仕上げのうまい新しいdziを選ぶと、こういう楽しみも生まれてきますd(^-^)ネ!
オリジナルの醍醐味がここに在ります。
当店では人気の赤い紐を通して、またTちゃんの元に帰っていきました。
また次に紐を替える頃は、Tちゃんと共に時を重ね、思い出を重ね、更に味のある石になっていることでしょう。

当店shop-ganeshaでは、本物のアンティークオールド《Dzi Beads》も取り扱っております。
すでに日本国内、海外の愛好家の方の元に渡っていったdzi達もあり、どなた様にも喜ばれています。
でも、すべての人が気に入ったからとアンティーク品に手が出せるとは限りません。
それでも、何故かdziの魅力(魔力)に魅入られた方のために、新しい加工のdziも多く取りそろえております。
新しいものでも、できるだけアンティークに近い素材や加工をしたものを選んで買い付けています。
天珠とか中国天珠とか西蔵天珠とか中国のお守り石とか柄に風水的な効能や意味合いを持たせて販売することは絶対いたしません。
dziはdziです。
原始仏教・チベット文化圏の影響を色濃く受けたエリア、また残したエリアの石です。
昨今では、聖地ラサでもビジネスマンの中国人が、dziや様々な骨董品をチベット人から二束三文で買いたたきビジネスとして高く売るのは周知のことです。
白さと香りのニュージービーズとしか言いようのない困ったdziもどきの石でも西蔵天珠と名を変えれば、それはそれは御利益いっぱいの商品に変身します。
日本のオークションサイトなどでもよく見受けられる状況ですね。
悲しいけれど、それが現実。
dziってそういうものじゃないと思うのは私だけでしょうか?

仏教が世界的にブームなように、仏像がブームなように、誰が仕掛けたわけでもなく、人々が心の底から何か拠り所を求めているんじゃないかと思います。
それは、救いかもしれないし、真理かもしれない。
そしてその本当の解は存在するのかわからないし、唯一絶対のものじゃないかもしれない。
スピリチュアルなモノにみんなが興味のいく時代なのかもしれません。
だけど、人は人の世界で人と関わり合ってしか生きていけません。
そうして生きていることが本当に幸せと感じることができないと、他人にも優しくなれませんよ。
石を持ったからすべてOKなんじゃない。
石を持つのは、これからのきっかけに過ぎない。
天然石もそうですが、dziは特に仏教エリアで瑪瑙を加工した石です。
わざわざ手間暇かけて模様や柄を焼き入れたのはなぜでしょうか?
私たちよりすっと信仰の厚い人たちの深い思いって何でしょうね。
過酷な自然環境、生活条件の中で仏様に守られ教えを守って平和に暮らしてきた人々の願いって何でしょうね。
それは簡単に、○眼は□□運、なんて意味づけできないような気がします。
だからdziはdziなんじゃないかと思います。

チベット人はdziをシーに近い発音で言います。
それはチベット語で瑪瑙を意味します。
仏像を拝むように、経文を詠むように、曼荼羅を見るように、dziもその信仰の1つだったのではないかと私は思います。
生きるための道しるべのような、そんな深い思いや願いを瑪瑙に込めて持ち歩いたのではないかと私は考えます。
個人的見解なので反論もあるかもしれません。
でも、今の時代でも新しい加工のdziが作られ、それに魅せられる人がいるというのは、人の思いが繋がっているからだと思います。

dziは、それを選んだ人がその人らしく生きていく手助けに過ぎません。
でも、選んだというのは自分の行為のようで、結構dziに選ばれたのかもしれませんよ。
私はdziはなにより《縁》の石だと思います。
そうして縁を紡ぎ、繋げていくのは努力しかないのですが、手にした人にしかわからない不思議な力があることは、本当に手にした人がみなさんおっしゃるので、理論的な説明はできないけれど、否めないdziの力がそこにあるような気がしますよ。

あぁ、なんだか勢いに乗っていろいろ書いちまった。。。(__;)
よその天珠屋さんに刺されたらどないしょ。。。
来るなら来い!
dziがホントに好きなら一緒にdziを語りましょ♪
これも何かの《縁》として・・・・d(^-^)ネ!

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