3/02/2010

わだかまりが溶ける日々

こんにちは。ガネーシャ店長です。
みなさま、お元気ですか?
ガネーシャ店長のサプライズairmailが届いたみなさま、お礼のメールをありがとうございます!
恐縮ですっ!
ほんとはみなさまにお一人ずつお返事を返したいのですが、携帯メールが超~苦手かつ打つのが亀のワタクシ故、ここでのお礼とさせていただきます。m(__)m

自分のことをガネーシャ店長と名乗るのも近頃やっと慣れてきたワシです。
よく「お店の名前の由来は何ですか?」と聞かれることがある。
「ガネーシャ」を知ってる人は、「あぁ、ガネーシャね。インドやバリに行かれるの?」とも聞かれることが多々ある。
思い起こしてみた。
どうして店の名前を「ガネーシャ」にしたんだっけ?
あれはネットショップを作ろうと思った時だった。
名前なんて何でもいいやと思ってた。
パンダが好きだから【パンダ堂】にしようかな。
住まいの地名をとって【桜井パンダ堂】でどう?
当時まだ小さかった子どもたちに聞いてみた。
彼らは言った。
「めっちゃ中華っぽい。香港雑貨屋なの?」
ちゃうちゃう。
素敵なアクセサリーと素敵なお洋服と素敵なバッグのお店なの。
「ほんなら【桜井パンダ堂】はダメじゃない?印鑑屋っぽいし。」
そんな印鑑屋聞いた事ないけど・・・・。
じゃ、何にしよう。
「パンダ以外に好きなものはないの?」
え、あるけど、ガネーシャ。
「それでいいじゃん。なんかアジアっぽいし。」
そうけ?
ほんならそうするわ。
・・・そうだね、こんな感じで決めたと思う。

ドメインを取るときに、ganeshaはすでにいろいろ使われていた。
店屋だから前にshop-付ければよくね?
それくらいの感覚でshop-ganeshaとなった。
昔、ネットの時は「ショップガネーシャ」とフルネームを使っていたが、今は「ganesha」と書いて「ガネーシャ」と名乗っている。
私的に、「ガネーシャ」という音の響きが優しいインドのおばあさんっぽく感じるのだ。

そして、今では「ガネーシャ」という神様もずいぶんとメジャーになった。
「ガネーシャ」と名乗る店は申し訳ないが腐るほどある。
アジア雑貨屋だけでなく、料理屋、マッサージ屋、美容院、ネイルサロン、ヒーリング系の店、同名の多いこと多いこと。
こんない多くちゃネットの世界はとても厳しいね。
でも幸い、ワシに「どこのガネーシャよりも有名になってやろう!」という意地がまるでない。
っつーか皆無である。
そんなことより、ガネーシャ神のように愛される店でありたい。

でも、少し私の中で違和感を感じていた。
それは、「インドでもバリでも仕入れはしないのにいいのか?ガネーシャで。」
そんなわだかまりを抱えていた。
だから自分を「ガネーシャ店長」と名乗ることに躊躇し恥ずかしく思うこともあった。
しかしね、いいんだよ、ガネーシャで!
バリにも行ってみた。
インドにも行ってみた。
ネパールにも行くしタイにもしょっちゅう行く。
どこの国でもこれほどどなたにでも愛されてる神様はいないかもしれない。
ヒンズーの国ならなんとなく理解できると思うが、タイでもガネーシャは「ピッカネー」と呼ばれ愛され親しまれている。
なんで仏教国で?
仏教がタイに伝わるより前、この国もヒンズーチックな土着の信仰があった。
日本だってそうでしょ?
仏教より前に神道があったでしょ?
日本の神様は八百万の神様、ヒンズーもたくさんの神様がいる。
どれも生活に根付いた自然現象ですら神様の仕業であり、敬われ畏れられてきた。
難しいことは学者先生に任せて、私が思うに、人間ってほんとにほんとに小さくて弱い存在なんだね。
だから古来、科学がこんなに万能じゃない時代、どの地域でも地球上の人間は民族や集落ごとに、身近な物事や自然現象に驚き、集団社会を存続させるための本能が神様を作り出したように思える。
ま、もしかしたら、ホントに神様が先に存在していたのかもしれないけど、どちらにせよ、人間は神様の下なのである。
そんな中で、ガネーシャは特別人間に近いところにあられる神様のようだ。
仏教でも聖天信仰という一部の信仰があり、それは歓喜天様に一心(一身?)にすべてを委ねるようにお願い申し上げ、その御心に背くようなことはせず、ありがたい事には深く感謝し、周りの人にも幸せを分かち合う生き方をすると、どんな願いも叶うらしい。
ほんとかな?
などと意地悪な見方しかできないワシは無理かもしれないけど、頭の中では、もし本当にそういう生き方ができれば幸せをより深く感応できるのかもしれないかもぉ~と思える向きもある。
信仰の話は個人の自由でデリケートな事なのでご紹介程度にしておこう。

で、ワシのわだかまりはトロトロに溶ける日々である。
別にガネーシャのイメージに執着する必要はないわけで、誰からも愛され親しまれるという事がとても必要でとても難しいのである。
だって、だれからも愛され親しまれるためには、誰をも愛し親しまねばならんということやでっ!
受身でおるだけで何でも手に入ると思ったら大間違いやでっ!
ワシもダテに年とっとるわけじゃない。
世の中の大きな道理くらいはわかっちゃいるのさ。
わだかまりが溶けていけばいくほど、「ガネーシャ店長」と名乗ることに勝手に重みを感じてまた恥じてしまう。
でも、いいの。
ワシなりに「ガネーシャ」であればいいの。
ネットの世界はとても不可思議で絵空事が一人歩きすることもあるけれど、ワシほどリアルなガネーシャ店長は他にはいないと思う。
リアルなワシをご存知の方、今、笑ったね?
離れたところにお住まいの心の友のみなさま、また会えるといいね♪

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