4/09/2011

どんどん生きよう

こんにちは。
雨上がりでもちょっと暖かい朝、無性にチェンマイが恋しくなったガネーシャ店長です。
飛び飛びに用事が発生してなかなか買い付けに出かけられない。
こんなに足かせを感じるのは、初めてかもしれない。
「まぁ、焦っても仕方ないことは焦らないことにしよう」と思えるようになったのは、成長と言えば成長かもね。
最低でも10日間くらいまとまって時間が取れないと仕事ができないもんねぇ。
店と家族を置いて出かけるのだから、万全の体制をできるだけ作っておかなければ、出先で仕事になりゃーせん。
スタッフ〜と言ってもワシと旦那の二人なわけで、個人商店の強みでもあり弱みでもありです。
何かと頭の痛い事が続くのは、自分一人で生きてはいけない証拠っす。
器用な人なら3本くらいのラインを同時にこなせるのかもしれないけど、アタシャ無理よ、そういうのはね。
無理なことをすると歪みがくるのは年の功で知ってるし。
歪みが自分にだけ降りかかるのならまだしも、周りの人に降りかかるのは耐えられない不幸に感じる類の人間なんで・・・ね。

幸せってそういうもんだと思う。
個人の喜びは誰かと分けたい。
分け合う相手がいるから、相手も幸せであってほしいと思う。
いい意味で相互依存しながら生きていくのさ〜。(-。-)y-~~~

所詮人間は「おひとり様」の人生だと思う。
一人で生まれて一人で死ぬ。
「おひとり様」ながら、いろんな人と出会って関わって繋がって寿命を全うする。
「おひとり様」は「独りぽっち」とは違う。
「独りぽっち」と感じることはあっても、実際は違う。
誰かと出会って関わって繋がって生きている。
常識とか、感謝とか、優しさとか、折々で言い方は変わるけど「自己責任」という人間の幅を増して、どんどん生きていく。
どんどん生きていくと、ある時、「もしかしたら生かされてるのかも?」と感じたりする。
生きていくのと生かされてるのは、視点が違うだけで「生きている」事に変わりはない。
そう、変わりはないのよ。
どうせ生きているのなら、すべて良い方に見方を変えて楽しもうとワシは思うのよ。

こんなファンキーなイデタチでも、意外と真面目に物思う今日この頃でした。
こんな時が「これもdziの果報かも・・・」と感じる瞬間かもしれない。
チベット人がdziを「【good luck】の石」というのは、そういう意味かと知る時でもある。

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