10/24/2011

仕事しながら考えたこと

こんにちは。老体に鞭打つガネーシャ店長です。
なんだかあったかいですねぇ〜10月も後半なのに。。。
ガネーシャ店内はまだクーラーを入れてますよ。
異常気象、天変地異、世界各地に起こる出来事は偶然のようで必然の結果とみてとれる心の友のみなさまに向けて今日もブログを書くことにします。

昨夜は荷物チェックと値札を付けるという、ワシが一番疲れる仕事をしてました。
疲れるけれど苦手なわけじゃない。
けど、最近、アジア業界も品質崩れと値崩れが甚だしく心の痛いことである。
これもインターネットという便利な産物の結果かもしれない。

円高って輸入する業種は儲かるんでしょ?

とんでもない話だわ!!

私がお願いしている国々の経済成長と原料の高騰は島国日本にいたらわからないかもしれないけど、オソロシイ数字である。
経済成長がめまぐるしいということは、一時的には豊かに見えるのかもしれないけれど、今の日本やユーロ、アメリカを見ればわかるように、国家と政治と人の心が「貨幣価値」だけに支配されてどんどん荒んでいく。
昔ながらの手仕事を離れる若い人たちは、タイ人であっても少数民族であってもインドでもネパールでも急増している。
本物のように見えて大量生産出来ることが優勢になっている。
悲しい話よね。
自分たちの持っている価値観と技術を捨てて寝返るほど、大量生産と大量消費は魅力的なのだろうか?
少なくとも、私は嫌だね。
どこにでもあるものなんていらないわ。
そう思うからこの仕事を選んだ。
よく「旅がお好きで仕事をしているの?」と聞かれることがある。
アジア好きが高じてアジアの物売りをするのが鉄則なのかもしれない。
いや、私は順番が反対。
アジアの素敵な物が好きだから旅して探して紹介している。

最初はただのカレン好きな変わり者だった。
子供がいたから望むと望まざるとママ達の集団に入らなければならない。
どこに混ざっても、すぐにワシだとわかるのは今と変わらない。
もっと言えば、幼稚園の頃から私はどこにいてもすぐにわかる子だった。
趣味が良いとか悪いとかじゃなくて、人に流されない独特なセンスは生まれつきなものだと思う。
センスというとファッション的で軽薄に聞こえるね。
そうだね、やっぱりこれは独特の価値観のことだと思う。
この価値観は日本では浮く。
オベンチャラも言えないし、ウワベだけのお付き合いも出来ないので、つるむこともない。
つるまない女は自らを少数民族と名乗ることにした。

つるむ努力をして得られるものと、つるまない自分を通して失うものの重要性を幼い頃から自然と判断する賢い子だったわけだ。
得られるものはウワベだけの友情と義理人情のないお付き合い。
誰にも嫌われないように続けるストレス。
失うものは本当の自分を知ってくれる理解者に巡り合うチャンスくらいかな。
私はまだ若かったし、自分には不思議な縁が導いてくれているような気がしていた。
もう若くないからその縁は不思議でもなんでもなく、自分が望むところに自分を運ぶ能力であることはわかった。
能力は良いことばかりを言うわけでもない。
運命という人もいるかもしれない。
けど、やはりそれは因果応報の宇宙の原則のひとつでしかない。
瞬時の判断で次のことは変わる。
食べれば太る。
食べなければ太らない。
食べたなら太るから運動するかもしれない。
太るのはわかっていても眠いかったら眠るかもしれない。
選んだ方でしか現実の時間は進んで行かない。
選ばなかった方の自分がいたとする世界をパラレルワールドというのだろう。
もしそんなパラレルワールドがあるとしたら、一人の人間には数えきれないパラレルワールドのそのまたパラレルワールドが出来上がる。

「あの時ああしていたら、そうしていたら、今はきっとこうなっていたかも。」

今と違う自分があると思うのは超ロマンチストな発想に感じる。
私は意地悪なので、もし、ああしていても、そうしていても、数々のパラレルワールドを巡り巡って、現状は違っても今と同じように思い悩み、喜怒哀楽の質は変わっても自分の感性は変わらないように思う。

ちょいと話しが反れたね。
要はだね、賢い子だった私は賢い大人ではない。
なぜなら、未だに得るもの失うものの基準を崩せないからだ。
私はもう大人なんだから、得るものを悪いモノばかりで判断するのはやめなくちゃねって思う。
そこにも学ぶべきことはあるだろう。
でもたぶん無理だな。
自分を折ってまでして得るものが本当に素晴らしいものなのかって考えちゃうもんね。
だけど、努力しないと出会えない縁は出会えるようにした方がいいなぁ。

つるまない、迎合しない、妥協しない、でも他への理解も怠らない。
きっと私はそんな感じで仕事していくよ。
仕事をすることが、私の唯一の自分以外とつるむことだから。
生きることってそういうことなのかもしれないね。
少なくとも私が生きるということは、そういうことなんだろうなぁ、、、って哲学的に徹夜したわけさ。(・・?
物想う秋の始まりですかね。
いやいや、ただのバカだろう。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

心の赴くまま、そして心が望むままに。されど心が佇むままに…。
道なき道を自らによって作り自らのみが歩む事を貫き、「生」をまっとうしようとする姿勢がどこからきているのか理解でき、「特別」に翻弄されていた自分(私)との接点もようやく腑に落ちた。
感謝

ganesha さんのコメント...

コメントありがとうございます。
私のつたない文章でも落とし所が見つかってうれしいです。
みんな、生きてる。
よかったね。(^m^)