6/26/2007

行きつけの寺 その2

もう、とんだモニュメントの登場で、どんだけぇ〜〜〜!って感じのガネーシャ店長です。

これで終わりかと思いきや、実はこの奥にもお参りするところがあると言う。
なんだか公園みたいだわ。
そんな通路を通って行くと、緑に囲まれたガーデンテラスならぬガーデンプレイスが現れたのでした。







とっても広くて、もしかして魂が浄化する場所があるとしたら、きっとこういう所なんだなって、信心も信仰も深くないワシでも感じる気持ちのいい場所です。
小さな子どもにお参りの仕方を教えている。
その後について、ワシも教えてもらった。
 この鐘はこう鳴らすのよ
 ここで3回打つのよ
 こっち回りでお参りするのよ
 ここで頭を3回下げて
 さぁ、お参りしてごらん
・・・って、お母さんにご指導を受けたワシだ。
たぶん、同じくらいの年だと思うんだけど、人間の出来がこうも違うと情けない限りだ。

ガーデンプレイスを一通りお参りした。
もちろん何もかもアップトゥーユーのドネイションである。
さて、もうお終いかと思ったら、友達がこっちこっちと案内する。
行ってみると、半野外レストランのようだ。
「ご飯たべましょ?」って言われた。
でも、さっき、まだお腹空いてないよって言ったばかりなんだけど、通じてなかったのかなぁ・・・・と少し不安になった。

麺コーナーとご飯コーナーに分かれている。




あんまり腹減ってないんで、軽くクィッティオを選ぶ。
よく考えれば、ワシはクィッティオ屋台巡りが一つの趣味でもある。
若い衆はガッツリいく派が多いのは万国共通のようで、ご飯コーナーに群がっている。
タイ料理には欠かせない調味料が洒落っ気もなく置いてあったりする。

ほいで、なんぼやねん?

え?これもお気持ちですかい???

どうやらすべてがお気持ちシステムのようだ。

空いている席に座って、クィッティオをすする。
相席は当たり前のようだ。
ここでワシはとても人気者だった。
外国人なんてめったに来ない場所に、金髪とアフロの何ジンだかわからない怪しい2人が美味そうにクィッティオなんぞ食ってるもんだから、みなさん気になって苦になって仕方ない様子。
どこの国もお年を召した方は、興味のあるコトをすぐに口に出してしまうらしい。
いろんなおばあちゃんに質問攻めのワシだった。
そんな素朴なコミュニケーションを満喫して席を立ったワシに、友達が言う。
「食ったもんは自分でこっちに持ってきてね。」
・・・あ、はい。
お片付けはセルフのようだ。
しかし、セルフにも限度があるだろうと思うほどのセルフだ。

まずここに残飯と箸を捨てる。
横に水道があるけど使っちゃいけない。

次は洗剤ぶくぶくの中に漬けて自分で洗う。
横に水道があるけど使っちゃいけない。

大きな流し場に大きなバケツが4つほど並んでいて、左から順番につけていく。
横に水道があるけど使っちゃいけない。
すると順番にすすぎができていくのだ。

最後はこの棚に自分の使った器を返す。


驚いたね。
ドネイションのなせるワザね。
よく見ると、食べ物をよそってくれる人も近所の婦人会のボランティアのようだ。
う〜ん、深いぞ、ドネイション。

歩きながら見上げると、爽やかな風と木漏れ日がまぶしい。
日中38度の世界とは思えないほど、ここは素敵な場所である。


これで敷地内を一周したことになるようだ。
わざわざ食べようと誘ってくれた意味がよくわかった。
瞑想ができない未熟者のワシでも、何か仏の教えを感じることができた。
友達にお礼を言いながら歩くと、さっきの本堂の前に出ていた。


布施行はお金のリサイクルだと思う。
必要なだけ持っていればいいのだ。
欲を出しても良いことはない。
少しのお金で救われる人もあり、救われる心もあることを知った。

でも、でもなぁ、、、
日本ではお布施=坊さんのゴルフ代のイメージしか持てんのだよなぁ、ワシは。。。(--;)
自分の愚かさを思い知った。
それと同時に日本の仏教の愚かさを感じてしまった。
生きてる人間に施してこその教えだろうに、日本では葬祭のセレモニーにしか使われていないのではないだろうか?
そこんとこどうなんだ?
アホなワシがどう思おうが何の進展もないだろうで、大人げなく食いつくのはこのくらいにしておこう。
ワシは、今を生きている人が本当に幸せであって欲しいと心底願うプチブッディストである。

この願いがまた面食らうコトになるのだが、それは寺参り番外編へと続く。

0 件のコメント: