4/23/2008

千日

こんにちは。
ほんとにアホやわぁ・・ワシ・・・と自分の愚かさを感じるとともに打たれ強さミンミンのガネーシャ店長です。(^^ゞ
今日も暑いっす。
みなさん、お元気?
ワシんとこは今日4号の家庭訪問です。
懇談会はワシ、家庭訪問はアフロ氏とそれなりに担当があるので、今日はアフロ氏の出番です。
去年と同じ担任らしい。
その先生は秘かにアフロファンらしいので、事前に4号に「今年も楽しみにしてるよ☆(^_^)ノ」とあったそうだ。
我が家にはこれといった子育ての方針も学校への意見もない。
そこんところを理解していただくには、アフロ氏の存在が一番簡単なのだ。
ユルユルですまん。
「やわらか戦車」並のユルさだが、どの子もグレもせず嫌われもせず淡々と生きているようだ。
モンスターペアレンツもいるけど、こんな家庭も日本の中にはまだまだあるんちゃう?(-。-)y-゜゜

さて、昨日、お店の中がガネーシャカフェ状態だった時の事。

アフロ氏が言った。
「なんかね、ニュースで見たんだけど、どっかの坊さんが更に偉い坊さんになるために千日修行してるんだって。
それが、もうすぐ達成するんだって。
そしたら、その経験とか出版したいんだって。」

それがどうした?
何の修行やねん?

「高低差のある所を片道18キロ、往復36キロの道を雨の日も風の日も1日も休まずに1往復するんだって。」

それだけ?

「そうなんだけどさ。それがすごい経験なんだって。命の哀れとか自然の力とかいろいろ感じて、ある意味悟ったそうだよ。」

「へぇ・・・スゴイね!」
みんな驚嘆している。

へそ曲がりなワシは時としてKYだったりもする。
「それで悟りがひらけるってか?その修行をせにゃ悟れんもんなん?」

慌てて誰かが言う。
「でもさ、すごいじゃん。千日って3年弱じゃん。それを毎日欠かさずするってすごいじゃん。」

それでもワシはKYだったりする。
「そうけ?みんな日々いろんなこと毎日やってんじゃん。掃除とか洗濯とかさ。女の人は普通やるぞ。わざわざ山道往復せんでもやるこたぁーあるがや。(-。-)y-゜゜」

言い放ってよく考えてみた。
掃除も洗濯も、晩ごはんでさえ、千日連続でやったことはないわ。。。(--;)

「ほいじゃ、何か千日続けてることある?」

イタイところつかれたな。
「ないな。でも毎日心がけてることはあるぞ。」

「何?」

「ワシは毎日うんこ出すように心がけとるがな(-。-)y-゜゜、まぁ、それもなかなか難しい時もあるから、千日修行はやっぱスゴイかもしれんな。。。(-。-)y-゜゜」

徳のある坊さんの千日修行と自分の排便を比較して、坊さんの立派さを実感するほどワシはアホだ。
近々罰が当たるかもしれんので心得ておこう。_〆(。。)メモメモ…

まぁ、そんな苦行に近い修行をして悟ると、たいそうな行を積んだように思え、特別な徳を授かったかのように思えるのはわかる。
でも、そういう行こそが唯一尊いものだと断定することには異議がある。
それは坊さんだからやれることだ。
坊さんは坊さんの方法で行を積むなり悟りを開くなりすればええこっちゃ。
しかし、ワシらは一般の庶民だ。
庶民は庶民の暮らしのあらゆる場面で行いを積み、こんなもんだわ・・・と世の中の儚さを悟ればいいじゃんって思うのさ。
日々の暮らしの人間の関わりの中にこそ、行いと徳が問われると思うんだよね。
掃除にしても飯炊きにしても仕事にしてもある意味行だと思うし、会社の中でも家族の中でも友達の中でも他人との付き合いというのは、ある意味行だと思うのよ。
それは行と同時に悟りの機会でもあると思うんだわね。

ワシは常にそう思っていただけに、千日修行の話はワシの中で別にどうってことない位置づけなのだ。
しかし、ハズバンドは違ってたようだ。
いつも一緒にいる夫婦でも、やっぱ違うんだよね。

「あんたも修行してこいや。(-。-)y-゜゜」
と、温かいアドバイスを送っておいた。

ワシは違う方法で何か千日がんばってみようと思った。
うんこ以外ね。

別に何でもいいんだけど、物凄いことじゃなくていいんだけど、当たり前の事をずっと続けるというのは、やっぱり何か悟りに近い優しい境地を生んでくれるきっかけになるかもしれない。
キョービの世の中、不登校もニートも仰山いる。
同じように軽い鬱の人もうじゃうじゃいる。
どちらも社会的認識と位置を確立している。
彼らはきっと何かわからない焦燥感と不安が重くのしかかっているのかもしれない。
でも、大丈夫だよ。
キミらだけじゃねぇ〜よ。
たかだか10数年の命の間に起こったつまらん事で世の中嫌いになっちゃうのは至極残念なことだ。
たかだか100年弱の寿命の中の事でも、残念加減は同じだ。
何が残念かって?
せっかくの生命活動を最小限のエネルギーでしか使わないことが、ワシからみれば残念なんだわね。
つまらん事も怒れる事も嬉しい事も悲しい事もオモロイ事も、世の中いっぱいいっぱい落ちとるのに、ちょっと味見しただけで拒絶したり嫌悪感を持つのは、それ以上の経験を得る機会を手放すようなもんだもん。
残念だがね。
せっかくの命が残念だがね。
死んだら大好きなモノも人も稼いだお金も土地も持っていけへん。
自分の脳に刻まれた記憶の数々だけが、肉体と一緒に葬ることができる。
それだけが自分が持ってゆける財産だし、残された人の中に記憶はずっと生きてってくれる。
それでいいんちゃう?
千日なにも続行してなくても、これくらいの事は悟るチャンスが世の中いっぱい落ちてまっせ。
行だの徳だの悟りだの、そんな難しいもんじゃなくても、人間、やさしい気持ちを持てるチャンスはありまっせ。
何かにすがりたい時もあるし、どうでもいいから放っておいて欲しい時も誰しもある。
でも、そのトンネルを抜けるのは自分自身の一歩でしかないことは間違いないだろう。

大きな一歩ができないなら、小さな一歩を千日頑張ってみようと思う今日この頃です。

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