4/09/2008

天上天下唯我独尊

またしても、こんにちは。
昨日は所要のため臨時休業してしまったガネーシャ店長です。
足を運んでくださったみなさま、ごめんなさい。<(_ _)>
7月からは絶対臨時休業しませんのでお許しくださいませ。
(なんで7月?)
(それはまだちょっと・・・どうぞお楽しみに♪)

さてさて、昨日4月8日はお釈迦様の誕生日だそうです。
お釈迦様は悟りを開くまでは、ゴータマ・シッダールタという王子様だったそうよ。
なかなかお子に恵まれなかった王様夫妻。
ある日、奥様のマーヤー夫人が夢を見たそうだ。
白象が体を入ってすり抜けていくんだって。
そしたら、ご懐妊だったんだって。
(え?やってねぇ〜のか?とツッコミたい所だが流しましょう)
臨月間近、お里帰りで出産するためにお付きの者と城を出たマーヤー夫人。
春うららかなルンピニーの花園でひとやすみ。
うるわしく咲きにおうアショーカの花。
右手をあげてそのひと枝を手折ろうと、そのせつなに王子を生んだそうよ。
(安産じゃん。立って産んだんか?座って産んだんか?)
天地は喜びの声をあげて母と子を祝福したんだって。
マーヤー夫人は産後の肥立ちがよくなかったのか、間もなく世を去って、王子は夫人の妹(マハープラパジャーパティー)に育てられたんだってさ。

お釈迦様はちゃんと人間だったそうだ。
うぅ?(。)ホヨ?と思うことはあるけど、王子様だったんだって。
でもね、赤子の王子が言ったんだって。
「天上天下唯我独尊(^o^)/」って、天を指差して言ったんだって。
もうデキルやつは産まれた時からデキルんやね。

天上天下唯我独尊

字だけ見ると、「私がこの世で一番偉いのさ!」って感じがする。
そういうニュアンスで偉い人の教えだから正しく尊いと伝える人もいる。
それって、まるで「ハイルヒットラー!(ロ_ロ)ゞ」と変わらんやん。

どういう意味で言われたのか、お釈迦様に聞くことはできないので、ワシがもっともなるほどね、(。。)(゜゜)ウンウンと思う解釈を記すことにします。

天上天下をテンジョウテンガと読んだら間違いだそうです。
天上天下はテンジョウテンゲと読むとわかるそうだ。
上下つまりジョウゲです。
天の上にも天の下にも・・・と解釈するのがよからしい。

そして、唯我独尊。
これもまた、ワシ一人だけが偉いんじゃい、ボケェ〜!の勢いを醸し出しているので間違いやすい。
我というのは、個人的な私一人ではなく、みなさんが自分のことを言う私、一人一人の私と思うとよかです。
私が今ここにあるという存在こそが最も尊く素晴らしいことだ・・・と、一人一人にあてはまる解釈がよからしい。

万札の諭吉さんも似たようなこと言ったな。
天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。

一人一人の命(存在)ほど大切なもんはないよね。

お釈迦様の言葉にこういうのもあるよ。
網の目が、互いにつながりあって網を作るように、すべてのものは、つながりあってできている。
一つの網の目が、それだけで網の目で考えるならば、大きな誤りである。
網の目は、ほかの網の目とかかわりあって、一つの網の目といわれる。
網の目は、それぞれ、ほかの網が成り立つために、役立っている。

網は網の目が編み上がって初めて網としての機能を果たす。
穴が開いてちゃ網として使えないもんね。
ほんで、人は水と乳のように和合せよ、水と油のようにはじきあってはならないとも言ってる。

な〜るほどにゃ〜(@_@)

今の時代でもなるほどと思うのだから、お釈迦様が生まれた時代背景を考えれば、かなり斬新な考えだろうね。
時の権力者にとっては、かなりな危険思想だったかもしれんね。
なんだかさぁ、、、なんだかよぉ、、、と思っていたことを理論的にたとえ話を使ってわかりやすく説明してくれたら、ワシのように、なるほどにゃ〜(@_@)と感服した権力サイドじゃない人も多かったろうね。

あなたもわたしも、天上天下唯我独尊を忘れずにがんばりまっそい!(^o^)/

0 件のコメント: