7/13/2011

コレを世間はストレスと呼ぶのか (・・?

こんにちは。
忘れちゃいけない忘れちゃいけない・・・って早くから気にしすぎて、当日すっかり忘れてしまいそうなガネーシャ店長です。^^;
何のことかとゆーと、4号の三者懇談会っす。
全国的にそんなシーズンですわね。
明日なのよね・・・。(-.-;)

お楽しみな事なら絶対忘れないし遅刻もしないだろうけど、残念ながら何の楽しみもない懇談会は気にしてないと忘れてしまう。
楽しくないくせに忘れてましたじゃ許されない緊張感が「あーもうー!」という胸のつかえに変身して、それは懇談会がすむまで続くのが毎度のことながら「あーもうー・・・」だ。(-_-;)
ほんでまた恐ろしい事に遂行されたらされたで、また新たな「あーもうー!」ネタを増やすのが4号の懇談会の特徴なので始末が悪い。
こんなに嫌々感と緊張感を増しながら、当日忘れてしまったり遅刻したりしたら「わざとか?」(-_-;)と勘ぐられそうだが、ワシはいたって大真面目なのだ。
これを世間ではストレスと呼ぶのだろう。
この場合のストレスは大きく3つに分けられる。
a. 懇談会が始まるまでの未然のストレス。
b. 懇談会における内容のストレス。
c. 懇談会後の結果のストレス。
ワシの場合はaの未然以前の問題で、懇談会のお知らせ自体がストレスとなるわけだ。
意外とbは平気だ。
「あーそーですかー」と言われることばかりで、こちらから聞きたいことは別にないし、何言われても一時的に「!」と思うだけですぐに消える。
cはbで受けた「!」が少し大きいだけで消えてしまう。
どれもすぐに消えるストレスだが、aはお知らせから当日までの期間が長い。
ここまできてわかりました。
ワシのストレスは「それが消えるまでの時間の長さ」ってことだね!

みなさんのストレスはどんなんでしょうか?
ワシのように単純じゃないかもしれないけど、単細胞なワシにだってストレスはあるのだから、生きてる限り生きてる物はすべてストレスの中で生きてるってことですね。
アナタだけじゃないし、人間だけじゃない。
進化論的に云えば、ストレスをバネに適応性を身につけることができる。
原因となるものから逃れられない場合、生きていく為に生き物はDNAレベルで体を変え、行動を変え、生体生態を自分の為に変化させていくのだ。
生物というか生命体の本質ってそういう事なんだと思う。

生きる為に生き延びる為に、ただ生命体が持っている本質を全うする為に自分を変えることだって厭わない強さと柔軟性も本質の1つとして備わっているのだろう。
長い時間の流れで見れば、進化論とか種の保存とか研究に値するくらい立派な学問になるだろうが、要はあれだよ、命は生きるのに必死ってこったよ。(-。-)y-~~~
運気アップとかさ、開運とかさ、スピリチュアル事や神様事の世界の人たちはさ、さも悟ったかのようにこれみよがしに声高に言うけどさ、「今」を「今目の前にある事」を一生懸命取り組むのは、地球の上にすむ生命体の1つとして当たり前のこったよ。(-。-)y-~~~
だってそれが本質なんだもん、命あるものすべてのね。
当たり前の事がわからないほどお馬鹿さんにはならんようにしようね。
だってここまでは、本質の性質であって当たり前の事であって、ここに気づいたあとが現代人には難しいんだよ。
生命維持には満たされた世界で気持ちにだけストレスを受けた場合の対処の仕方など、学校じゃ教えてくれんよね。
肉体的にはサバイバルな生活はしたことないけど、気持ちというか心はいつもサバイバルに反応しなくちゃ適応出来ないんだよね。
多少イタイ目にあって経験を積まんと本質の強さと柔軟性が目を覚まさないんだもん、現代人は。
みんなそうやって生きてるのよね〜。

個人レベルでもそうやって命と向きあって生きてるんだから、政治家ももっと日本という国の命と向きあってもらいたいもんだ。
もっと長いスパンで物を見て国家と国民の命の為に今やるべき事をやらなくてはイケナイ時なのに、欲の塊の中でしか物事を見ていない。
八百万の神様が本気で怒る前にどげんかせんといかんちゃうの?
最近のワシは、まさに冒頭の懇談会におけるワシの状態だ。
何かあってからそれをどうにかする決着をつけるまでの時間の中にいる。
まさにストレスの真っ只中だ。
ワシだけじゃない。
今、日本国民全員が、いつ消えるのかわからないストレスの中にいる。
ホントに消えるのか?
いつ消えるのか?
どうやって消えるのか?
消す努力はしてるのか?
消す気はあるのか?
政治をする人たちよ、もっとシンプルに命と向きあってくれ。
国民のワシらももっと強く柔軟に考えなくちゃアカン。
例えば「節電」。
「節電」って言葉にいつまでも甘んじとっちゃアカン。
一時的な対応だから「節電」という言葉を平気で使う。
ワシらも本気で命と向きあうのなら、「節電」という言葉がなくなるくらい当たり前にならにゃアカン。
それは一時的じゃなく恒久的にならんとアカン。
でも悲しいかな、人には寿命がある。
自分の生きてる時だけは何事も無く良く在りたいとみな願う。
自分の寿命の範囲でいい人は「節電」に励んでもらえばいい。
子や孫のところまで範囲を伸ばせる人も「節電」に励んで当たり前にしてね。
もっとずっと先の未来に地球に住む生物の事を少しでも想うなら、「節電」などという言葉に惑わされない選択をしてね。

「節電」だけじゃなくて、世の中がすべてそう。
何が大事で何が大事じゃないか、何が良くて何が良くないか、何が本当に大切なのか、もっと考えて行動しなくちゃいけないよ。
「考えたり頭使うのってストレスなんですけど〜?」って言う人もおるけど、こういう人ほど占いやパワーストーン好きに多いのをワシは知ってる。
時折に頭で考えるストレスより、自分にとって好ましくない物が消えないストレスの方が確実に心身を蝕むこともワシは知ってる。
職業柄よく見るのよね〜〜菩薩なもんでね。^^;

本当は布をご紹介しようと思ってたのに、久しぶりにブッこいてしまった。。。(_ _;)
ゴメンナサイです。(/_;)
でも、ちょっとだけスッキリした。
明日は忘れずに遅れずに行きます、懇談会。。。

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