11/29/2011

身に着けるということ

こんにちは。ガネーシャ店長です。
ずいぶん日暮れが早くなってきましたね。
上着がなくてもまだ過ごせるのでありがたいけど、みなさまお風邪など召さないようご自愛くださいませ。

画像は今日のじゃなくて昨日のワシです。
ダボダボパンツはチェンマイコットンとガーゼの刺し子。
インナーのトップはシンプルコットンの昨年モデルのブラウス。
羽織ってるのはストレッチの効いた生地にぐるぐる渦巻きがいっぱいついています。
首に巻いてるのは渋いグラデーションが何にでも合ってとても重宝するコットンのスカーフ。
スカーフは在庫あります。
他は完売です。m(__)m

最近50代以上のお客さまが増えてきた。
「こういう服はちょっとムリ・・・」と言いながら、「これはどうやって着たらいい?」と聞かれる。
「どうもこうも普通に着りゃいいだがね!」としかアドバイス出来ない。
だって、トップスならいつものボトムに合わせればいいし、ボトムスなら持ってるトップが無ければ自分が好きなモノも着ればいい。
至極簡単シンプルなことに気づかないのはどうして?と逆に聞きたい。
お洒落に興味が無いわけでもないのにどうして?
こうでなくちゃいけない、みんなが着ている、こういうのが流行ってる、きっとそういうモノが好みなのだろう。
それなのにどうしてガネーシャに来て、ましてや何か欲しいと思うのか?
そろそろ既成概念を外して楽に生きたいと思い始めてるんじゃないかしら。
真面目な人ほど、どうでもいい既成概念や地域の慣習に自分で自分を押し込める。
それが心地いいならそうしてればいいけど、どこかで「?」って浮かんだら身に着けるものくらい自由にすればいいよ。

私はアジア屋だけど、シンプルなお洋服が好き。
シンプルで楽で面白いデザインだともっと好き。
それでいて手仕事だったりしたらたまらない。
そして、他の人とカブりたくはない。
アクセサリーもそう。
シンプルだけど存在感の在るものが大好き。
長い時を経てもなお褪せない魅力がいい。
ブランドよりもオリジナルがいい。
だって誰も持ってないから。

私は目立ちたがり屋ではない。
むしろ絶対目立ちたくないがり屋。
自分が好きなモノを身に着けているだけのこと。
化粧をしない私はアクセサリーがメイクのようなものだ。
コーデイネートは「はじめまして、よろしく」の挨拶のようなものだ。
ただそれだけの自己主張なので、みなさんが思うほど私は目立たない、と思う。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

誰もが自由は欲しいけど
自由と共に背負う不自由は欲しがらない。

背負ってしまえば以外に楽なんだけど
それは背負った人にしかわからない。

人生は本当に紙一重。

ganesha さんのコメント...

ホントにねぇ...背負ってこそ本当の自由が得られるのにって思います。
賢いのと小賢しいのは違うのに、小賢しいことが賢いと勘違いしてる世の中になっちゃいましたねぇ。。。

匿名 さんのコメント...

今思えば、店長さんは35年以上前から自由と不自由を背負っていた数少ない人。尊敬します。

ganesha さんのコメント...

残念ながら尊敬には値しない人材です。^^;
物心のつき始めって人それぞれだけど、ワシは5歳くらいから「世の中理不尽じゃね?」って思っていたのでアバウト42年は経つなぁ〜何してたんだろ?そんなに長い時間...モッタイナイね。